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【衝撃】PUBGの歴史①〜開発編〜


目次

  • PUBG MOBILEってどんなゲーム?
  • 【PUBGとは?
  • 開発秘話
  • 【PUBGの原作1:DayZとは】
  • 【PUBGの原作2:ハンガーゲームとは】
  • 【ついに誕生!「PLAYERUNKNOWN」として次々にMODをリリース】
  • 【運命!韓国のBluehole社との出会い】
  • 【過酷!進まない開発環境・・・】
  • 【ついにリリース!でもライバル登場!?】

PUBG MOBILEってどんなゲーム?


【PUBGとは?】

PUBGとは『PLAYER UNKNOWN’S BATTLE GROUNDS(プレイヤーアンノウンズバトルグラウンズ)』の略称の事です。見ての通りタイトルが長いので「ピーユービージー」や「パブジー」と呼ばれています。
ゲームで勝つ方法はいたってシンプル、100人の内、最後の一人になる事です!!
広いマップの中で逃げたり・隠れたり・戦ったり、映画『バトルロワイヤル』の世界さながらの白熱したシューティングゲーム
2020年には全世界六億ダウンロードを突破している今注目のゲームです!!

今回はそんなPUBGMOBILEがどうやって開発され、リリースされたのかをお伝えしていきます!

※課金アイテムを購入しない限りは無料でプレイできます!

図 10

開発秘話

2017年にPC版がリリースされ,世界的な大ヒットとなったバトルロワイヤルゲーム「PlayerUnknown’s Battlegrounds 」(以下,PUBG)。今大人気のバトルロワイヤルゲームの”生みの親”と言える存在だ。
今回は世界に新しいゲームジャンルを確立したと言っても過言ではないPUBGがいかにして開発されたのか。その開発者Greene氏の知られざるストーリーに迫っていく。

【PUBGの原作1:DayZとは】

 PUBGの開発者Greene氏はアイルランド人でブラジルを拠点に写真家やデザイナーなどとして生活していた。そんなGreene氏は運命を変えるゲーム「DayZ」と出会う。

 「DayZ」は,今のPUBGのプレイヤー同士が戦う「PVP」とコンピューターとプレイヤーが戦う「PVE」のどちらもの要素を持った、オープンワールド形式のゾンビサバイバルゲームだった。ルールはシンプルで生き延びることだ。ほかのプレイヤーと協力してゾンビから逃げて生き延びることはもちろん、ほかのプレイヤーが裏切ることもあるので、その戦略的な判断も必要な非常に新しいゲームだった。
 このほかの人と関わりながら進んでいくオープンワールド形式のゲームに、Greene氏は「めちゃくちゃハマった。」と答えている。

 元々ゲーマーではなくクリエイターとして活動していたGreene氏は「DayZ」の改造版データ(MOD)を作ることにした。自身がハマったPVPだけに絞って開発を進め、「DayZCHERO+」というゲームを完成させた。
 この「DayZCHERO」は瞬く間に人気ゲームとなり、Greene氏はMODを作るModderという趣味に没頭していくことになる。

【PUBGの原作2:ハンガーゲームとは】

 この頃,世界では「ハンガー・ゲーム」が大流行していた。簡単に説明すると,抑圧された民衆から選抜された24名が殺し合いをする(バトルロワイヤルをする)という筋書きのテレビドラマで,映画化もされ,世界的流行を巻き起こしていた。
 そこに注目したGreene氏は「DayZ」に「ハンガーゲーム」の24人参加型のバトルロワイヤルという要素を加えたMODを開発した。4ヶ月後に「DayZ Battle Royale」としてリリースされたこのMODは大人気となる。当時の状況をGreene氏は「うけた。やばいくらいにうけたんだ」と振り返っている。 

 リリース直後は,サーバー関係が落ちるほどの人気だったという。ちなみに、すでにこの段階でお馴染みの「範囲」の制限が組み込まれている。

【ついに誕生!「PLAYERUNKNOWN」として次々にMODをリリース】

 大きな成功を収めたGreene氏だが,「DayZ」の人気が徐々に下がっていき,活動の軸足を「ARMA3」へと移していく。そこでGreene氏が作ったのが「ARMA 3 Battle Royale」というMODだ。この段階で,PUBGの原型はほぼ仕上がっており、現在のPUBGの”元祖”と言ってもいいMODだ。

 その後もGreene氏は次々にMODをリリースしていく。「PLAYERUNKNOWN’S STREET FIGHT」や「PLAYERUNKNOWN’S BATTLE ROYALE WAR」といったゲーム名で発表しており、このときから「PLAYERUNKNOWN’S 」という冠名まで決まっていたことが分かる。Greene氏は、今までにない要素だった「巨大な都市マップ」や「戦車などの車両」を追加機能として実施していき、様々な施策を試して行った。

 ちなみに,この時期のGreene氏は「無職」であり,親に「あなた今何してんの!」と聞かれたときは「ARMA 3のMOD作ってるんだ」と答えるしかなかったという。

 そんなときにGreene氏はついに運命の出会いを果たし、脱ニート!していくことになります。次回は遂にPUBGが完成していくまでのストーリーをお伝えしていきます。

https://esportsnewsjapan.jp/archives/738

編集:eスポ編集部

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